コダーイ・コンセプト

コダーイは卒業後、民俗音楽収集とパリへの留学も果たし、2年後にはリスト音楽院の理論・作曲科で教え始めます(1907年25歳)。さっそく自らの教材に民謡を取り入れましたが、目指す音楽教育とは隔たりがあったようです。

ここからは彼の言葉を引用していきます。1961年のブダペストでの講演でこのように語っています。

私は1930年代に,大学や音楽学校をいくらよくしてもだめなのだ,土の中の根から始めなければ, と初めて気がついた。

いわゆるコダーイ・コンセプトの方向性が固まってきたのが1925年(43歳)と言われています。それに対してこの講演で語った「1930年代」とは40代後半にあたります。
リスト音楽院で教え始めて20年以上経っています。この他の資料からも、その間かなり奮闘した様子が伺えます。

<Wikimedia Commons/File:Stamps of Hungary, 068-07.jpg>

コダーイの考え方のひとつに、『良い聴衆がいるからこそ音楽文化の発展がある』というものがあります。
そこから、保育園・小中高と、音楽専門ではない人の学校教育こそ根本から変えなくてはという発想につながっていきます。
そして教材としてもっともふさわしいと考えたのが、誰にとっても身近で難易度も高くない音楽的母国語、すなわち「ハンガリー民謡」でした。

われわれの方法を見失うまいとするなら,ほんとうの自己をまず知らなければならない。もし「大雨や洪水,大風」でこわれない家を建てようとすれば,砂の上ではなく,岩の上に建てなくてはならない。われわれの岩はハンガリーの民謡でしかありえない。(1929年「100のハンガリー民謡」序文より)

音楽は少数の人たちの独占的財産であってはならない。すべての人のものにすべきである。(1954年「音楽教育の改革について」より)

留学仲間と話す時によく、コダーイの「良い聴衆を育てる」という考え方について話が及びます。
留学中もですが、教えるようになってからは尚更共感できることで、音楽を教える仕事をしている人なら、良い聴衆を育てることを忘れてはならないと感じます。

*「コダーイ・システム」という名称がよく聞かれますが、実際にはコダーイの作った「システム」は存在せず、厳密には誤った呼び名だという人もいます。そこで、この記事では「コダーイ・コンセプト」という呼び方をしました。

参考文献・・・中川 弘一郎訳 1980『コダーイ・ゾルターンの教育思想と実践』全音楽譜出版社.

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千葉県柏市で音大受験準備レッスンをしています。