小節線にしばられていませんか?

先日、オランダの子供たちが弾くピアノ発表会というのを聴く機会がありました。
中にはユニークすぎる解釈もありましたが、どの子も生き生きとした演奏で面白かったです!

発表会の後、日本の子供たちと何が違うのか考えていたのですが、一番大きいのは歌い方の違いかな、「フレーズ感」が違いました。
それと、先生に押し付けられてやっている感が全くない点が良い。「誰がなんと言おうと自分はこう歌いたい!」という演奏が、音楽をやる原点を思い起こさせてくれた気がします。

日本人が「小節線が見える音楽」が得意なのは有名な話です。
音楽が横に流れず、拍を数えているように聞こえるのだとか。目をつぶって聞くと小節線がどこにあるかわかってしまう、そんな風に言われることもあります。

昔、友人と話していて「日本人は農耕民族だから、縦に刻むのがDNAに刻まれちゃってるんだよ。西洋人は狩の民族だから馬に乗って横に移動するでしょ?弧を描いて弓を射ったりとかもする。だから彼らはフレーズ感覚が良いんだ。」と言っていた人がいて「へぇ」と思いましたが、この話、今となっては、ダンスや語学など、音楽以外のジャンルでもよく耳にする話になりました。

前置きが長くなりましたが、そんな経緯で最近「拍子を決めず、小節線も引かない聴音」というのをはじめました。「ト音記号、あとはフリー!」といって始めます。私の生徒たちは慣れたもので、こんな課題にも着いてきてくれます。えらいぞ!

課題も見直して、付点を入れたり、シンコペーションを入れたりして、より流麗なメロディにしました。そうなのです。改めて見直すと、私も縦の線がしっかりした課題を好んでいたのだな、とわかりました。(反省!)

新たな課題では、今までとは違った感覚で音楽を捉えなくてはならないはず。
通常の聴音でとるような「小節の頭の音」ではなく、フレーズ感で形作られる自然な区切りを肌で感じとってほしいです。
書き取った後は、小節線を引いて、拍子を決めます。私が決めるのではなく、生徒が自由に考える時間です。身近な課題ですが、彼らの「こう歌いたい」という意思を引き出す一助になれば…

ソルフェージュの勉強の大半が型を学ぶことです。でも型を外せなくてはその技術は使いものにならない。相反する事柄にどう取り組むか、試行錯誤が続いています。

◎ソルフェージュ教室・ラソラ◎
千葉県柏市で音大受験準備レッスンをしています。